幼児教育

参考本『読書をする子は〇〇がすごい』〜前編〜

日々刻々と変化する社会のなかで、子ども達は育っています。将来大人になった時、現時点では想像も及ばない世界に変わっているかもしれません。それを思うと、エベイユようちえんの理念にある《未来を生き抜く力を育てる》ことの大切さ、幼児期の教育の尊さを切に感じます。

現代人に欠如している読解力・語彙力・思考力・コミュニケーション能力は、未来を生き抜くうえで重要なスキルです。それらを育て、向上するには何が必要か?

今回は、参考にさせて頂いた本を前後編に分けてご紹介します。小学・中学受験をお考えの方、一読の価値はあります。ぜひ読んでみてください。

《すでに子どもたちの学力の二極化が進んでいる?》

(中略)

今の私たちにできるのは、この先どんな社会になるとしても、その社会の荒波を乗り越えるだけの知力を身につけていける教育的環境を与えることだ。まずもって大事なのは、子どもの知的好奇心を引き出すことである。学ぶ意欲さえあれば、その時々に必要なことを貪欲に学んでいける。

《個人の自由や個性の尊重は学力格差を助長する?》

(中略)

自主性の尊重とか、個性の尊重といった言葉には、全面的に良いことであるかのような響きがあるが、じつは今ある能力差という個性をそのまま容認することにもつながり、学力の格差を助長する側面ももっていることには注意が必要だ。

(中略)

私たち人間は、とても弱い面をもっている。よほど強い覚悟がない限り、どうしても楽な方に流されてしまう。子どもの将来の為を思うなら、教育的な環境を整えるという意味での一定の外圧を与えることも必要だろう。

《生活言語と学習言語は別物》

私たちは言葉でものを考える。(中略)言葉を使ってものを考えるのであれば、頭の中に言葉を豊かに蓄積している人ほど緻密に考えることができるということになる。

(中略)

おしゃべりの能力と知的能力が別物だということは、教育現場に身を置くものなら日頃から痛感しているはずだ。教師は授業中もおしゃべりをやめない子に手を焼くものである。でも、そういう子どもたちにも言い分はある。授業を聞いても理解できず、まったく興味を持てないため、ついおしゃべりをしてしまうわけで、どうにも仕方がないのだ。学習言語を発達させてこなかったのは本人だけの責任とは言えない。幼稚園までは能力にかかわらずみんな同じように過ごせても、学校に行って勉強するようになると、どの教科でも徐々に抽象的思考力を必要とするようになっていく。そこで学習言語を発達させていない子はつまずく。教科書や教師の言葉の意味がわからず、授業についていけなくなる。

生活言語は自然に身についていくが、学習言語を身につけるには、それなりの経験が必要となる。そこで問われるのは、どれだけ本を読んでいるかということである。

引用元:『読書をする子は〇〇がすごい』榎本博明